うじゃうじゃ | せーべさんのロヂウラな日々。

うじゃうじゃ

久々に書きます。


あの電車は昔、クモハ41のキットを買ってきて、切り詰めて作った。

東急3000のお面と屋根をつけ、シバサキ模型の木造ドアを入れて。

塗装はコテコテの筆塗りだ。

動力はベルニナ用台車にありあわせのモーターをつけ、スプリングウォームで駆動した。

片方には轟音を立てて走ったが、もう片方に走らせたら、“ぴん”と音を立ててスプリングウォームが飛び出した。確か中学か高校の頃だったか、情熱だけで作ったその模型は、いつしかガラクタ箱の片隅で眠りについた。


シバサキ模型の親父さんには結構可愛がってもらった。

銚子電鉄のあの電車、作ったらどうですか、なんて振ったことがある。

まだ店が柴崎の商店街にあったころ。

しばらくして、本当に親父さんは製品化してくれた。

微々たる小遣いで買い、大学受験を控えているというのにせこせこ作った。

車体の出来はまぁまぁ。動力は案の定苦労を強いられた。やたらと調子よく走ったかと思うと、ウンともスンとも言わなくなる。後で親父さんに聞いたら、設計したご当人でもそんな調子らしい。

ある日塗装が気に食わないとか言って、シンナーにドボンして、それっきり。


それのプラ製品が、目の前の手許にある。それも今は合計8輌もだ。

何万輌ものあの電車が世に出回っている。東急ハンズの食玩フィギュアコーナーに並び、下手するとどっかの大手コンビニの店頭にも並んでるんではないか。一瞬ゾッとして、近所のファミマに見に行った。

無かった。却って安心した。


嬉しいといえば嬉しい。でも、なんだか素直に受け止められない自分がいる。

というか、何であの電車の模型が、そんなにたくさん世にあるのか。

ものすごくいびつというか、すわりの悪さを感じる。なんだか薄気味悪い。

大事なものを無碍にみんな失ってしまったから、その傷を…癒すためなのか。


最近、作ることに対して壁にぶつかり、少々苦痛になっている自分がいる。

デザインという、趣味模型とは似て非なる変に深い世界に足を突っ込んでしまったせいだろうか。

自分の意思でカッターを持つことすら少々辛い昨今。

その世界でやっていけるか、先への不安も当然ある。


皮肉なことに、脇に並べたこいつらを眺めて、しばしココロを癒すのが今の自分だったりする。tetsucore