さらしもの。
これでもか、という位ピカピカの5001がそこにいた。
切断面には連結面妻板がキレイに切り継がれていた。
この仕上がりに、東急車輛の職人さんたちの思い、意地を感じた。ただただ涙するしかなかった。
でも、醜いとしかいいようがない。
本来完璧な状態で保存できるはずのものを、よりによってこんな場所にこんな状態で晒すなんて。
どうして醜いのか。
一日つらつら考えていた。
やはりそれは、この車が区長の浅ましい政治に利用されたことに尽きる。この区長は愚か者としか言いようが無い。
それに乗ってしまった東急も愚かである。余りにも。
一日経って、多少冷静にはなったが、やり場の無い怒りが収まったわけではない。
切り詰めて整備する予算は、恐らくこの車をまるごとそのまま整備して、線路を敷いて保存する予算額と大差無いだろう。
只でさえも人で溢れかえるこの場所に、場所塞ぎでしかないこんなものを置いて、一体どうするんだ。災害時に炊き出しの拠点か何かにはなるかも知れないが。
どうしてもこのような行為に及ぶなら、長津田に屯す8000系のほうが、未だましだったかも知れない。維持も楽だろうし。
じっくり眺める気にもなれず、足早に立ち去った。
最近は“グラフィティ”や“タンギング”の他に、フッ化水素でガラスを腐食させる“エッチング”という新手のマーキングが、渋谷辺りにも上陸している。
あのような目立つモノであれば、たちまち餌食になってしまうだろう。
数ヶ月と経たず変わり果ててしまうであろうことは、容易に想像がつく。
もはや写真も撮る気にもなれなかった。
うじゃうじゃ
久々に書きます。
あの電車は昔、クモハ41のキットを買ってきて、切り詰めて作った。
東急3000のお面と屋根をつけ、シバサキ模型の木造ドアを入れて。
塗装はコテコテの筆塗りだ。
動力はベルニナ用台車にありあわせのモーターをつけ、スプリングウォームで駆動した。
片方には轟音を立てて走ったが、もう片方に走らせたら、“ぴん”と音を立ててスプリングウォームが飛び出した。確か中学か高校の頃だったか、情熱だけで作ったその模型は、いつしかガラクタ箱の片隅で眠りについた。
シバサキ模型の親父さんには結構可愛がってもらった。
銚子電鉄のあの電車、作ったらどうですか、なんて振ったことがある。
まだ店が柴崎の商店街にあったころ。
しばらくして、本当に親父さんは製品化してくれた。
微々たる小遣いで買い、大学受験を控えているというのにせこせこ作った。
車体の出来はまぁまぁ。動力は案の定苦労を強いられた。やたらと調子よく走ったかと思うと、ウンともスンとも言わなくなる。後で親父さんに聞いたら、設計したご当人でもそんな調子らしい。
ある日塗装が気に食わないとか言って、シンナーにドボンして、それっきり。
それのプラ製品が、目の前の手許にある。それも今は合計8輌もだ。
何万輌ものあの電車が世に出回っている。東急ハンズの食玩フィギュアコーナーに並び、下手するとどっかの大手コンビニの店頭にも並んでるんではないか。一瞬ゾッとして、近所のファミマに見に行った。
無かった。却って安心した。
嬉しいといえば嬉しい。でも、なんだか素直に受け止められない自分がいる。
というか、何であの電車の模型が、そんなにたくさん世にあるのか。
ものすごくいびつというか、すわりの悪さを感じる。なんだか薄気味悪い。
大事なものを無碍にみんな失ってしまったから、その傷を…癒すためなのか。
最近、作ることに対して壁にぶつかり、少々苦痛になっている自分がいる。
デザインという、趣味模型とは似て非なる変に深い世界に足を突っ込んでしまったせいだろうか。
自分の意思でカッターを持つことすら少々辛い昨今。
その世界でやっていけるか、先への不安も当然ある。
皮肉なことに、脇に並べたこいつらを眺めて、しばしココロを癒すのが今の自分だったりする。
まだ
知らなきゃならないことが、山ほどある。
http://www.europa.aichi-edu.ac.jp/minami-seminar/NeueWache.htm
去年、ここで僕は、日本式に手を合わせた。
人一倍僕を可愛がってくれた
じいちゃんばあちゃんのお墓でやったように。
93歳まで生きたじいちゃんは、立派な人物だった。
あまり報われることのない人生だったけど。
でも、じいちゃんは言った。
“世の中に桃源郷など、あるはずがない。”
経済的に傾いた家を建て直し、家族を戦火から守り抜き、
這うように生きてきたじいちゃんの言うことに、絶対に間違いはない。
多分僕はまだまだ、何も知らない。
日常の中に
惨い事が起こったもんだ。
207系の絵が描いてあるアルミホイルみたいなものが、ぺしゃっとマンションの壁にへばりついている。
大事故の緊迫感というより、鉄路を颯爽と駆け抜ける姿とはあまりにもかけ離れた、何とも情けない姿という印象が目に焼きついた。
電車ってこんなになってしまうのね。そのことがまずショックだ。
そして、その“アルミホイル”の中に、ついさっきまで当たり前の日常を送っていた人々が閉じ込められ、亡くなられたことを考えると、言葉を失う。
絶対の安全なんて無いんだ、と思う。
変な話だと、いつも思うんだが、
自動車事故は起こした奴が悪い、ということになっている。
年間1万人も死んでいて、、誰もそのことの根本的な問題提起をしない。ニュースにもなりゃしない。
クルマはぶつかったときの安全対策が重視される。
鉄道をはじめ、公共交通では事業者が徹底的に責め上げられる。この通り連日の大騒ぎになる。
事業者の責任を問い詰めることに終始し、事故は絶対に起こらないという前提のもと、安全を確保する対象には“装置”でハリネズミにすることばかりが重視される。なんでこんなに違うんだろう。
人数の問題ではない。鉄道事業者が安全に対し手を抜けというわけでもない。
同じように人が死んでるのに、やっぱり矛盾を禁じえない。
責任を責め上げる前に、一体何が拙いのか、どこをどう直せばいいのか、ということをもっと冷静に考えることのほうが重要だろうと思う。工学院大の先生が提唱する、失敗学という奴だ。
運転士が失敗ばかりやる奴だと報道されている。
一方、最近では乗務員は促成栽培化が進んでいると聞く。
地元の東急では、以前は駅員4年+車掌2年で教習所入りし、それではじめて運転士になれると聞いた。
でも、近頃はワンマン路線が増えているので、その限りでもないだろう。契約社員の駅員も増えているようだし。
キモが据わる、なんていうけど、やっぱり物理的な理屈だけでは終わらない経験則ってあると思う。
体で覚える、って奴だ。
そういうの、最近ものすごく軽視されてないだろうか。
で、これは多分一企業に負わせる責任ではなく、利益一辺倒でそういう状況に追い込んでしまった今の社会全体の責任だろうと思う。
責任を負わせすぎの鉄道と、責任を負わなさすぎのクルマ。この辺の整理をしないと、マズイんじゃないかな。
電車に乗るという行為にも、乗客自身にも事故に遭う可能性への責任ってものがあるんじゃなかろうか。クルマがあれだけ自己責任なのならば。